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大きな木になりたい。



長い冬休みをいただいた理由に、福岡に暮らす息子くんの誕生日と成人式というイベントがありました。


個人的な想いで今回のブログを書かせてもらって、すみません。

ただ、今の私があるのは、息子くんのおかげなので、今の気持ちを記させてください。m(_ _)m




息子くんの言う「そうねー。」が好きだ。

私が話すことに、相打ちを打ってくれる一言であるが、

「へー、それで?」っていう興味だったり、

「うん、自分もそう感じてた!」だったりの共感の時もあるが、

「いやいや、まあまあ、うんうん」と若干の呆れのニュアンスがあったり。

時に、自分と違う意見であっても「そうねー。」と受け止めてくれる。


親子であっても、夫婦であっても、親友と呼べる友達であっても、

いつも同じ意見じゃないし、同じ価値観じゃない。違う人間だから、それは当然だと思う。

たとえ自分と違う意見であっても、違うことを思っていても、お互いのことが好きだ。

そして、その違う意見を話して、聞いてくれたら、きっとお互いの世界はもっと広がって。

うんと楽しい人生になると思う。

そう、息子くんが生まれた時から思っていた。『育ててきた』って言えるようなことは、できてないと思う。一緒に過ごしてきた。


親として。一般的なニュアンスで言うなら、立派な親じゃなかったと思う。

仕事が優先な時も多かった。

彼が幼かった時は、自由に仕事をこなして 責任ある地位についていく かつての同級生が羨ましくて、悔しくて。

私は 保育園に預けてこなす仕事だから、土日や夜は働けないことが歯痒くて。

どんなに一生懸命に働いていても、子どもが病気で急に休むことになると「これだから、アテにならない」と言われて、腹ただしくて

「産まなきゃよかった。」って思ったこともあった。


彼が小学一年生の時に始めた自営業のせいで、夜遅くまで家にひとりにさせたし、お金もなかったから お休みの日に食事に出かけたり、旅行に行くことも 少なかった。

ただ、自営業であるカレー屋をしていたおかげで お客様から「美味しかったよ、ありがとう」と言ってもらっている姿を見せてあげられたのは良かったんじゃないかな。

でも、社会的な地位があるわけでなく、おおっぴらに自慢できる親ではなかったと思う。


だからこそ、親だから与えなきゃいけない。親だから教え諭さなくてはならない。

親だから立派な姿を見せなければならない。と思ったことはない。いやいや、出来なかっただけかもしれないけれど(笑笑)


いつだって、虚勢をはることなく、等身大で 正直に 向き合ってきたつもり。

そして、幼い頃から対等に話を聞いて話し合いたいと思って、そうしてきたつもり。

お互いにできること、できないことがあって、それをサポートしあってきた。

もちろん幼い時にはできないことのことが多く、こちらが手助けすることがほとんどだったけれど、今は 知恵を借り、アドバイスしてもらい、 助けてもらうことが多くある。


彼が成長していくなかで、教えることより、教わることの方が多かったように思う。

自分とは違う視点での感じ方。違う感覚。新しいアイデア。

自分の幼さ、甘さ、不甲斐無さ。


20年間、育ててもらったのは 私の方だった。


私たちのもとにやって来たのは、彼が選んできたわけではない。

親子なんて、お互いに選んだ人間関係ではないから、気が合わなかったり 嫌った人間であることもあると思う。むしろ、そうあることのほうが 当然なのかもしれない。

たまたま、親になった 私たちと、子になった息子くん、なのだ。


彼のおかげで、私の世界は広がって、とても豊かで、楽しいものになった。

偶然ながら、私たちのところに生まれてきてくれたことに、感謝しかない。


今年、20歳になって、社会一般的に『大人』になって、一緒にお酒も飲めるし、

私たちの許可なく結婚も出来る。犯罪を犯せば、実名で報道される。


でも、本当の大人って何だろうね。

私自身は、成人を迎える人たちの倍の年月を生きていても、そこにたどり着いたとは思えない。

「大人になりたいなー。」と 日々、のぞみ反省しながら生きている。


だから、息子くんもきっとまだまだ未熟だ。

私が、息子くんが生まれた日に「今日から親ですよ」って言われても、そうなれなかったように。

20歳になったその日から大人にはなれない。


ずっと前から、歩き始めたその日から

これからもずっと、彼の目の前には輝く世界が広がっていて。

遠くに飛び立っていく。私の想像もつかないくらいに遠くまで。さらに高く遠くへ。


きっとワクワクして、楽しくて、素敵な出会いがたくさんある。

長い旅の先には、時々に不安になったり、迷ったり、疲れたり、深く傷ついて、

もう一歩だって動きたくないと思う時だってあると思う。


そんな時に、立ち止まって休みたいと思う時に

羽を休められる 大きな木に、私はなりたい。


彼が 話したいと思う事があれば、聞いてあげたい。

自分で自分に問いたいなら、側にいて どんな答えであっても、彼の出した答えに背中を押してあげたい。


大きな嵐にも 揺るがない、大きな木になって。

遠く高く飛び立つ 彼を見守るのだ。


そして、私も大人になっていくのだ。親に成らせてもらうのだ。


最後になりましたが、

カレー屋をしていた時にお店で息子くんに声をかけて関わってくださった方々、おかげさまで いろんな生き方や考え方、趣味の世界を広げることができました。

学校や塾で彼に寄り添って 勉強を教えて下さった方々、おかげさまで 彼は学ぶことが楽しいと思ってくれました。

地域の方々、彼の成長を見守って喜んでくださいました。

たくさんの方々のおかげで、今があります。私たちだけで、今の彼はありません。

深い感謝をお伝えしたいです。

ありがとうございます。

そして、これからも、私たち共々 どうぞ見守ってやってください。

よろしくお願いいたします。






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